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オーナーよりご挨拶
ナマステ食堂オーナーシェフより
ご挨拶

ナマステ食堂のホームページに訪れてくださり、ありがとうございます。

ナマステ食堂代表のブサル・チョクラルといいます。
見かけたら「ブサル」と呼んでください。

私はネパールの小さな村の生まれで、子どもの頃は子ヤギと寝ていました。
自慢は、村中の誰よりも薪を集めるのが得意だったことです。

15才の時、過激派が川の近くに置いていった爆弾を見つけて、夜中にこっそり川で爆発させました。
あれは今思っても、大成功でした。大量の魚を一度に捕まえることができました。

そんな私が、なぜ日本でレストランをしてるのかというと、日本人の女性と結婚して息子ができたからです。
それと、もう亡くなりましたが、国の両親に仕送りをするためでもありました。

でも、商売を始めてみると面白くて、喜びが大きくて、もう16年、続けてきました。
お客さまにネパールやインドの魅力を知ってもらえるのも嬉しいです。

カレーは、世界一の食べ物だと思っています。

手軽にお腹いっぱいになって、香辛料は漢方薬であり、野菜もたくさんとれて、何よりおいしい。

お洒落なレストランは自分の性にはあいません。
気軽にお腹いっぱい食べれる日常使いのカレー屋さんをこれからも続けたいです。

応援よろしくお願いします。

オーナーシェフの人生
僕はどんな人間か?

僕のカレーには、これまでの人生がたくさん詰まってます。
故郷の思い出、父母への愛、妻やスタッフへの感謝、仲間たちとの喜び。
僕の話が良いスパイスになれば、うれしいです。

ネパールの小さな村に生まれる

子ヤギと寝て育つ。
薪を集めるのが村中の誰よりも早かった。

なぜか、人を集めるのが得意だった。家の屋根が藁でできていて穴をあけて、水の流れを作って家の中にひいた。何度もやって何度も怒られた。

15歳、村から離れた町へ行く

国登録証を作るため、初めて一人で村から離れた町に行った。
8時間歩いてから、バスで8時間かかるような道のりだったが、ちゃんとできた。

同じころ、トウモロコシの粒を耳に入れてしまって、取れなくなった。我慢して隠していたけど、1週間たったら高熱が出て、クリニックに行った。早く言えばよかった。

ディーゼルエンジンの修理工をする

カトマンズの叔父の元に住み込みで働いた。

最初の数年は見習い扱いで給料をもらえなかったので、自分でインドのデリーまで行って、インドに行って部品を買い付け、カトマンズで修理をしながら部品を売った。

日本人の女性と結婚

23歳で結婚して翌年日本に来て、マクドナルドで働いた。


7年後、ナマステ食堂1号店をオープン。

パパイヤの木を買ってきて育てたいたけど、冬に死なせてしまった。定期的にパパイヤの木が夢に出てくる。

最愛の母を失う

何か月も店をお休みさせてもらい、妻とスタッフが全て頑張ってくれた。おかげでネパールでずっと看病をして、最期も立ち会うことができた。葬儀、火葬もぜんぶ取り仕切ってあげることができた。3000人くらいの人が集まってくれた。人生であまり泣いた記憶がないのだけど、この時だけはたくさん泣いた。

唯一の後悔

母が亡くなって3ヵ月、父から電話がかかってきて、「お母さんが呼んでるから数日であっちいくよー、雨で大変だから来なくていいよ」と言われた。もう90歳を超えていて、ちょっとボケたことをよく言うので、そこまで気にしていなかった。3日後にまた電話がきて、元気に話したのだが、電話を切った数分後に息を引き取ったと連絡があった。最初の連絡ですぐにネパールに飛べばよかった。